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「炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展」プレ企画第4弾 ドキュメンタリー映像上映会

ドキュメンタリー上映会ちらし

上映作品:新九州遺産「三池炭鉱 光と影」、「地底の葬列」
日時:2017年3月25日(土)14時開会(13:30開場)
場所:エル・おおさか(大阪府立労働センター)5階視聴覚室
定員:108名
入場料:無料

主催:関西・炭鉱と記憶の会、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
問い合せ:エル・ライブラリー 電話06-6947-7722 メール:lib@shaunkyo.jp

ちらし


カテゴリ flyer | ファイルサイズ 945.57 kB | 最終更新日 2017-02-18 00:14 | ダウンロード数 488

上映作品

新九州遺産「三池炭鉱 光と影」

2010年 46分
制作:熊本放送/ディレクター:井上佳子

かつて熊本と福岡をまたいで広がっていた三池炭鉱。明治政府が進めた殖産興業、富国強兵政策の下、産業の育成や、軍事力の強化の原動力が石炭だった。品質のよい三池の石炭は引く手あまただった。日本の近代化や戦後復興を支えた三池炭鉱は1997年に閉山。しかし、時代を牽引してきた華やかな炭鉱には、暗い影も付きまとってきた。囚人労働、朝鮮半島や中国からの強制連行。そして、鹿児島最南端の島、与論島からの移住者たちの過酷な労働。エネルギーが石炭から石油に代わってからは、三池炭鉱では、採炭現場での効率化がすすめられていく。

1963年、三川坑で、積もった炭塵に火がついたことが原因で炭塵爆発事故が発生。効率化を進めた末の事故だった。この事故では458人が死亡したが、生き残った人たちは今でも後遺症に苦しんでいる。さらに、塵肺に苦しむ労働者も多い。彼らもまた、国策の被害者だ。三池炭鉱の光と影を描く。

井上佳子

1960年 熊本市生まれ。熊本大学卒業後、熊本放送入社。アナウンサー・報道記者・ラジオディレクターを経て、2000年からテレビディレクター。ハンセン病、水俣病、戦争などのドキュメンタリーを制作。「空白~述懐・ハンセン病報道」「水俣ほたるの家」、民教協スペシャル「月が出たでた~お月さんたちの炭坑節」「死者たちの残像」民教協スペシャル「祖父の日記」などを制作。著書に「孤高の桜~ハンセン病を生きた人たち~」「壁のない風景~ハンセン病を生きる」「三池炭鉱・月の記憶」などがある。


「地底の葬列」

1983年 1時間15分
制作:北海道放送/ディレクター:後藤篤志
1983年度文化庁芸術祭大賞受賞

地底の残骸と言われるズリ山(ぼた山)が並ぶ夕張には石炭の光と影の歴史が刻まれている。日本の重要なエネルギ-源であった石炭は「国策に殉ずる」とした炭鉱資本による人的資源と地下資源の収奪という暗い側面をあわせ持つ。「夕張(ゆうばり)食う(苦)ばかり 坂ばかり どかんとくれば死ぬばかり」・・・こんな言葉を吐きながら漆黒の闇の中でヤマの男達は黙々と炭を掘り続けてきた。

炭鉱資本は事故即閉山を繰り返し、ヤマでしか生きる術を持たない人々を置き去りにしたまま撤退する。街は疲弊し、地域崩壊におののいている。
93人の犠牲者を出した北炭夕張炭鉱の事故をきっかけに、歴史を掘り返してみると、夕張では3000人以上の坑夫たちが壮絶な死を遂げていた。夕張にはその墓標ともいうべきズリ山と廃墟が横たわっている。

後藤篤志

1948年 オホーツク海に面した北海道紋別市生まれ。1971年 北海道大学を卒業、北海道放送入社。記者兼ディレクターとして ラジオ・テレビのドキュメンタリーを制作。
北方海域で安全操業と引き換えに諜報活動を行うレポ船の暗躍ぶりをスクープした「黒い海図」で放送文化基金賞。「地底の葬列」、福祉施設建設をめぐる差別の構造をえぐった「狼がやってくる?」で芸術祭賞など社会派ドキュメンタリー作品で多くの受賞歴。
その後、編集長、報道局長などを歴任。退職後は北海道大学公共政策大学院で非常勤講師をしながら、フリーランスで取材活動を続けている。