大阪社会運動顕彰塔

大阪城公園の北東に位置し、平和と人権と労働者の権利を獲得するために活躍された方々を顕彰し、その志を受け継ぐ決意を表すシンボルとして1970(昭和45)年に建てられました。

大阪社会運動顕彰塔

建立から50年後の2020(令和2)年に上屋を撤去、新たに顕彰碑を設置しました。

大阪社会運動顕彰塔

歴史

ようやく終戦の混乱が収まった1950年代半ばごろ、戦前・戦時中に命をかけて闘った先人たちや戦後に労働者の権利獲得や平和と平等を求めて奮闘した方々を偲び讃える「解放運動無名戦士の墓」の建立が戦前の活動家たちを中心に発議されました。この動きが拡大し、第31回大阪統一メーデー(1960年)において顕彰塔の建設が決議されました。

1966年に顕彰塔建設委員会を結成、顧問に左藤義詮大阪府知事、中馬馨大阪市長を迎え、代表理事に仲橋喜三郎大阪総評議長と村尾重雄大阪同盟会長が就任、理事として労働組合幹部、政党幹部、国会議員、府・市会議員、自治体首長、民主団体役員、学識経験者、戦前活動家350名が参加しました。まさに全大阪の労働・社会運動を挙げての事業でした。

大阪社会運動顕彰塔

労働者、農民、民主団体、有識者有志の協力、拠金によって建設が開始、1970年に竣工しました。その後、1992年に大改修を行い、1994年に25回記念の石碑を設置。建設から50年を迎えた2020年には、多くの組織、団体、個人のご協力を得て、上部を撤去・改修し、新たに顕彰碑を設置しました。

大阪社会運動顕彰塔 大阪社会運動顕彰塔 大阪社会運動顕彰塔

設計と構造

顕彰塔の設計は、彫刻家で舞台装置なども製作した、浅野孟府(1900-1984 日本プロレタリア美術家同盟)。 大阪市電の敷石(大阪を表現)の基盤の上に、理想を象徴する15m四方の上屋を、大衆の腕を表す4つの柱によって支える構造になっており、 顕彰塔の内部には、社会運動、労働運動に功績のあった物故者の芳名板が掲げられていました。

大阪社会運動顕彰塔 大阪社会運動顕彰塔

2020年に上屋を撤去して設置した顕彰碑は建立協力団体のコンペによって選ばれました。台座から立ち上がる3本の石柱は「自由」「解放」「平和」の意味がこめられ、過去から未来へと延びる先には光り輝く未来を象徴する球体が鎮座しています。

大阪社会運動顕彰塔

社会運動物故者顕彰・追悼式

1970年に第1回大阪社会運動物故者合祀祭が開催されて以降、1992年からは大阪社会運動物故者顕彰・追悼式へと名称を変えながら、毎年10月に式典が開催され、大阪の社会運動、労働運動を担う人々、また支えてきた人々が集い、顕彰者にその意思を受け継ぐという誓いを毎回新たにしています。また、顕彰者のご家族や友人など多数の人々も参加されています。

大阪社会運動顕彰塔 大阪社会運動顕彰塔

式典は式典委員会によって運営・開催され、労働戦線統一以前から労働4団体、大阪労福協、大阪労働金庫・関西労働金庫、全労済大阪、部落解放同盟大阪府連、各政党などの幹部が式典委員を務め、広くつながる大阪の労働運動・社会運動を象徴してきました。1989年の連合大阪結成以降は連合大阪会長が式典委員長を務めています。

2014年まで顕彰塔前広場で開催していた式典を、2015年からは屋内での開催に変更しました。

本年の式典の挙行情報はエル・ライブラリーのブログをごらんください。

『大阪社会運動顕彰塔顕彰者事跡録 増補改訂版』

顕彰者には、著名な社会活動家・労働運動家も含まれますが、大半の方々は「無名の戦士」です。これらの歴史に名を残すことのない人々の「事跡」を記録し、後世に伝えていくことが「大阪社会運動顕彰塔」の保全・運営とともに重要と考え、2007年に『大阪社会運動顕彰塔顕彰者事跡録』を刊行しました。その後新たに寄せられた情報を加え、2011年10月『大阪社会運動顕彰塔顕彰者事跡録』増補改訂版を上梓しました。第1回から第40回の顕彰者が記載されています。(頒布価格一冊1,000円)

管理・運営

大阪社会運動顕彰塔の管理は公益財団法人大阪社会運動協会が行っています。

アクセス

JR環状線、大阪城公園駅下車。
歩道橋を渡って大阪城公園に入り、南へ徒歩すぐ。