公益財団法人大阪社会運動協会の歴史

1977年 大阪労働者福祉協議会と在阪労働団体・労働福祉事業団体によって大阪社会運動協会設立準備委員会設置
1978年財団法人大阪社会運動協会設立 資料収集を開始
1981年『大阪社会労働運動史』編纂事業を本格的に開始
1986年『大阪社会労働運動史』第1巻発行
1987年『大阪社会労働運動史』第3巻発行
1989年『大阪社会労働運動史』第2巻発行
1989年第60回メーデー記念展開催
1991年『大阪社会労働運動史』第4巻発行
1994年『大阪社会労働運動史』第5巻発行
1996年『大阪社会労働運動史』第6巻発行
1997年『大阪社会労働運動史』第7巻発行
1999年『大阪社会労働運動史』第8巻発行
2000年大阪府労働情報総合プラザの事業を受託
2006年大阪社会運動資料センター開設
2008年大阪府労働情報総合プラザ廃止、エル・ライブラリー開館
2009年『大阪社会労働運動史』第9巻発行
第80回メーデー記念展示会「働く人々の歴史展」開催
2010年特別展示「三池争議から50年」開催
2012年公益財団法人に移行

前史

大阪城公園内に「大阪社会運動顕彰塔」という、「塔」にしては背が低いが、威風堂々とした建物がある。1970年、労働団体によって建設されたこの顕彰塔は、戦前・戦後を通じて大阪における社会運動に献身し、不屈の闘志をもって闘った先輩の行跡を讃えるために建立された。そして、総評・同盟・中立労連に分裂していた労組や社会運動団体が超党派で管理・運営し、毎年10月に「合祀祭」を執り行っていた。(1992年より「社会運動物故者顕彰追悼式」に改称)

1970年の落成当初から顕彰塔の管理運営と、社会運動資料収集整理・運動史刊行のための機関「大阪社会運動協会」設立が謳われていたが、実現に至っていなかった。

その後1977年9月、顕彰塔常任理事会は、顕彰塔の管理運営のための専任機関を設置することが必要であるとの認識に至った。その確認を受けて、大阪労働者福祉協議会と在阪労働団体・労働福祉事業団体は大阪社会運動協会設立準備委員会を設置した。その後1年弱の協議の結果、大阪社会運動協会を大阪社会運動顕彰塔の管理だけでなく、大阪の社会・労働運動史編纂の機関として位置づけることとなった。さらに、退役社会運動家の組織化と社会・労働関係資料室の設置も設立の趣旨に盛り込まれた。

 
財団の設立(1978年11月)

かくして、労働組合・個人の出捐金を元に、1978年11月17日、財団法人設立の運びとなった。「大阪社会運動協会設立趣意書」は、財団設立の第一の目的を資料の収集・保全管理と、運動史の刊行としている。

財団設立と同時に資料集と『大阪社会労働運動史』刊行のための準備が進められた。資料室運営委員会を設置し,蔵書家からの寄贈資料の受け入れも始めた。まず初めに高田鉱造氏から大量の蔵書を受贈し,さらに大阪社会運動協会理事長で大阪総評議長である中江平次郎氏からの資料提供を受けた。これが高田文庫と中江文庫である。

運動史発刊計画案の策定(1981年2月)

数回の理事会を経て財団法人大阪社会運動協会は略称を社運協とすることや、運動史の監修者の選定など、いくつか重要事案が決まり、体制を整えていった。1981年2月23日の第7回理事会で『大阪社会労働運動史』発刊計画案が示され、渡部徹、小川喜一、西村豁通監修者が承認された(代表監修は渡部。なお、小川監修者は3月26日に急逝され、木村敏男大阪市立大学教授が後任となった)。

また、編集委員会を設置することも決まり、常任編集委員長は中江平次郎理事長が兼務、委員には社運協理事、大阪府・大阪市担当職員、労組・社会運動活動家OBらが就任した。

設立当初は専従職員もおらず、独立した事務所もなく、労福協(大阪労働者福祉協議会)の事務所の一角を借り受けていたが、1981年8月にようやく社運協の電話が架設され、10月には総評大阪地評書記局を退職した北橋正一常務が専従職員として着任した。

『大阪社会労働運動史』編纂と資料収集(1981年〜1999年)

1981年から本格的に運動史の編纂事業が始まった。監修者毎に執筆班を編成し,各班会議(研究報告会)を毎月開いた。同時に,関係資料の収集を行い,監修者の指示によって法政大学大原社会問題研究所や京都大学人文科学研究所,大阪府立中之島図書館,大阪府立大学社会福祉学部図書館などの所蔵資料を複写収集した。

また,社会運動家からの蔵書の提供や,運動内部の資料も多く提供していただき,資料室は漸次充実していった。

第1巻は1986年に,続いて第3巻を1987年に,第2巻を1989年に発行して,第1期編纂計画は完成した。

第2期編纂計画では,第4巻第5巻を編むこととし,これによって1975年まで記述が及ぶこととなった。財団設立当初の計画では,1975年までを以て運動史編纂事業は終了する予定であったが,第5巻の編纂が終わった1994年には,労働組合や理事などから,「総評・同盟が解散する1989年までは記述してほしい」との意見が出され,引き続き第6巻〜第8巻を編纂して本事業を完結させることとなった。

かくして,第3期編纂事業を1994年の監修者会議から開始し,1999年11月の第8巻発行をもって終了した。

この間,収集資料は年々増加し,運動関係者からの聞き取り調査テープも100本を超えた。これまではこれらの資料を一般公開することなく,『大阪社会労働運動史』執筆者のために整理してきたのであるが,それでも電話などでの照会が後を絶たず,閲覧室の設置などが課題として残されていた。

『大阪社会労働運動史』編纂の歴史について,詳細は『大阪社会労働運動史』第8巻611頁「『大阪社会労働運動史』の編纂をふりかえって」を参照されたい。

第60回メーデー記念展(1989年5月)

1989年5月1日は日本でメーデーが開始されて60回目の記念の日となった。

当協会では大阪メーデー実行委員会とともに,これを記念して大阪府立労働センターで「第60回メーデー記念大阪社会運動資料展」を開催した(1989.4.28〜5.1)。

写真60点,文献資料53点,社会運動家による揮毫30筆,ビデオ上映,大正時代の労働組合記章,組合旗など約10点を展示した。いずれも非常に珍しい貴重なものばかりであった。

また,台湾,釜山,上海の労働組合から記念の壺・置物・旗などを受贈し,これら労組代表者たちが来館された。

大阪府労働情報総合プラザの事業を受託(2000年4月〜2008年7月)

『大阪社会労働運動史』編纂の一大事業を終えた社運協の次の使命は,資料の一般公開,府民への閲覧供与という図書館サービスの実施であった。

その具体的な内容が「社会運動資料センター構想」である。1998年の理事会より具体的なビジョンを漸次提起し,「資料センター構想」の実現に向けて関係各方面への働きかけをしていた折り,2000年初,大阪府労働部よりエルおおさか(府立労働センター)南館2階にある「大阪府労働情報総合プラザ」の図書館機能を社運協で運営してほしい旨,申し入れがあった。

従来,市販図書やビデオなどを中心に府民への労働情報提供サービスを続けてきた「プラザ」と,いわゆるグレーペーパー(非市販図書)中心の社運協の蔵書構成が相互補完的に作用し,一層の図書館サービスが実現できるというのがその目的であった。プラザの閲覧コーナーで社運協の資料も一般に閲覧していただけるというメリットがあり,2000年度より本事業を大阪府から正式に受託することとなった。

2000年4月3日(月)より,大阪府労働情報プラザの管理運営は社運協の最も大きな事業となった。

大阪の社会労働運動を伝承する同志会」の運営(1978年〜)

大阪社会運動協会設立以前から,社会・労働運動に尽力された人々の親睦会である「戦前の解放運動を守る会」が存在し,定期的に会合を開いていた。大阪社会運動協会設立以後は,同会と,戦後の労働運動家OB会である「戦後活動家の会」の事務を当協会が行うこととなった。

時の経過とともに「戦前の解放運動を守る会」の会員も亡くなっていき,単独で会を維持するのが困難となっていった。そこで1990年,二つの会は合同し,「大阪社会運動活動家の会」として出発することになった。さらに2006年、「活動家の会」は、大阪社会運動事跡録の編纂などを新たな任務として「大阪の社会労働運動を伝承する同志会」(略称「同志会」)へと改称した。

同会は事務局を社運協に置き,年1回の総会,メーデー当日の「大阪のメーデーを語る会」(2007年までの「偲ぶ会」を改称)開催,大阪社会運動物故者追悼式への列席,などを主な事業とする。

大阪社会運動資料センター開設(2006年4月)

社運協の資料室はエル・おおさか本館4階に閉架書庫を残したまま、普段は利用していなかった。蔵書はプラザを通じて一般の利用者に提供していたが、書庫内の貴重書を有効活用してもらうために、この書庫を「大阪社会運動資料センター」を命名して閲覧席を設け、一般公開へと踏み切った。利用は事前予約を必要とするが、書庫内で自由に閲覧できるため、学生・院生・研究者など、長時間資料を閲覧する人々に利用された。

大阪府労働情報総合プラザ廃止問題(2008年4月〜7月)

2000年以来8年にわたってプラザの運営を受託し、大幅な経費節減と利用者4倍増という結果を生んだ当協会スタッフの努力と成果を無視し、大阪府は2008年7月末でプラザを廃止。4月の大阪府財政再建プログラム案発表以来、労働関係研究者を中心とした「大阪の社会・労働関係専門図書館の存続を求める会」の反対運動にもかかわらず、年度途中で図書館は廃止された。

同時に、2008年度以降、「大阪社会運動資料センター」への補助金も全額カットとなり、当協会は公的資金の一切を失うこととなった。

エル・ライブラリー開館(2008年10月21日)

プラザ廃止を受け、社運協は今後も貴重な資料の散逸を防ぎ、次代に引き継ぐため、独力での図書館運営を決定。職員解雇、賃金大幅カットなどの痛みを伴いながらも、大阪社会運動資料センターと大阪府労働情報総合プラザを統合する形で、社会運動資料センターをリニューアルし、エルおおさか本館4階に大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)を開館。会員制図書館として生まれ変わった。